2015.05.26
キレイになれる非加熱・生充填の水
水と言葉
私たちが生まれた時から親や周りの人たちの見よう見まねで身につけてきた日本語には、風情ある言葉がたくさんあります。「洗い清める」や「水に流す」など、水に関連するものも少なくありません。水は古来より「清める」ものとして用いられ、時にあがめられてきました。
水は清める力を宿す
古来より、水には霊力があって、身体や心を清めることが出来るとされています。
神社でお参りする前に、手や口を水ですすぐ「手水」(てみず)もお清めのかたちです。お参りの前に手水をするのは、神さまの前に出る前に、私たちが普段知らず知らずのうちにまとってしまっている穢(けが)れを清めるためです。
本来は、禊(みそぎ)と言って、海や川、湧き水などに身体を浸すことによって、身も心も清めてからお参りしますが、それだと一般の人たちとってはそうたやすくできることではありません。今は、河川の汚染が心配されるようになったのと、清流や湧き水はどこにでもあるわけではないので、手水舎が神社などに併設されるようになりました。こうして禊をより簡易なカタチにした手水をお参りの前にするようになったのです。
旅先の人里離れた山奥や、都会でも開発に取り残されたような神社には、もう手水舎が残っていないところもあります。そんな時は迷わず、手を合わせる前にペットボトルの水で手水するのもいいですね。どこにいても穢れを祓うことができる水を持ち歩く。そんな習慣を始めてみるのもいいかも知れません。
水をまもる龍神さま
bikohsuiの水源は、六甲山の麓を流れる渓流の一部、布引(ぬのびき)です。渓流の中にあるように感じる二宮神社の中に、夢に出てきた白蛇がもとで、昭和になって建てられた椋白龍社(むくのきはくりゅうしゃ)があります。龍神さまは、水を司る神さま。その一帯の布引渓流が名水百選というのもうなずけます。
水は、淀みなく流れているからこそ、清めるパワーを発揮することができます。そして氣もまた同じで、流れてこそ「氣が通り」、あたりを澄んだ、清らかな空間にすることができます。布引渓流は、水も氣も流れる、清らかなふるさとだからこそ、そこに在る水が名水となったのでしょう。
「生充填」することが許された水
昔は水と言えば水道水でしたが、今、私たちにとって飲料水は、ペットボトルの水です。国内にはあまた水の種類はありますが、bikohsuiは、非加熱フィルターによる浄化だけで、化学処理はもしろん、煮沸さえも行っていません。自然のままボトルに「生充填」することが許された、特別な水です。「生」ゆえの絶妙なミネラルバランスから生まれるその美味しさは、明治時代に神戸にやってきた外国の船乗りからも「赤道を越えても変わらない」と言われ、大量に船へ積み込まれたという伝説のミネラルウォーターなのです。壊れた器械のように部品交換ができない私たちのカラダの大半は水でできています。だから取り入れる水を選んで頂く。安心を選んで頂くのです。
この氣も水もよどみなく流れるカラダをつくる水、微硬水”bikohsui”のオフィシャルサイトがローンチしました。
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http://www.bikohsui.jp